目次
・②コロナ禍になり、コミュニケーション上での困難が増えた
・③家族に安心感を与えるため
・④職場での情報格差
・⑤講師としての発話の改善
②コロナ禍になり、コミュニケーション上での困難が増えた
新型コロナウイルス感染症は、 第1例目の感染者が報告されてからわずか数カ月ほどの間に世界各国へと感染が広がり、日本でも緊急事態宣言が発動されました。
コロナ禍ではマスク着用が奨励され、口元を読み取っていた聴覚障害者は、口の読み取り(読話)ができなくなったことで、コミュニケーションをする上での困難が増しました。
私は聴覚障害者との向き合い方を伝えるユニバーサルコミュニケーション研修も担当しています。聴覚障害者と会話する際、マスクを外すことが可能な場合はマスクを外す。または、口元が見える透明なマスクを着用する。マスクでコミュニケーションが取りにくくなっている人のために、話す内容を書いて伝える筆談をするなど、さまざまな工夫をお伝えしてきました。コロナ禍になり、聴覚障害者の不便をなくすために、口元が見えるマスクの商品開発が進み、最近では手に入りやすい価格で多様なタイプの透明マスクやマウスガードが購入できるようになりました。
しかし、厳密な感染予防の観点から、例えば、医療機関や高齢者関連の福祉施設などでは不織布マスクの装着が義務化されていた事情もあり、透明マスクやマウスガードは聴覚障害者と接する機会が多い人(例えば、手話通訳者など)や、ユニバーサルマナーの意識が高い個人や企業など一部で広まったのみで、社会全体には広まりませんでした。日常生活で、例えば、店員さんと会話する時のコミュニュケーションの不便などはもとより、仕事先でもコミュニュケーションに困難を感じる機会が増加しました。そうした理由もあり、人工内耳の手術を選択しました。
③家族に安心感を与えるため
私の両親、弟2人、弟それぞれのパートナーやその子どもたちはみんな耳が聞こえている聴者です。私は聴覚障害のあるユニバーサルマナーの講師として勤務していますので、私の家族はさぞや聴覚障害の造詣が深いのだろう、または、中途失聴者のことを誰よりも理解しているだろうと思われる方がいるかもしれません。しかしながら、実際の答えは「NO」です。
障害者の家族であっても、1人の人間ですから、知識やスキル、意識の持ち方に個人差はあります。ある特定の属性、例えば「障害者の家族や親族」であったとしても、障害者に対して「理解があるだろう」「配慮ができているだろう」と考える人もいるかもしれませんが、実際には家庭環境による、または個人差があるのが実情です。一概には言えません。
家族を近くで観察してきた私の所感ですが、私の家族は元々、障害者をはじめとする社会的マイノリティへの理解が浅かったように思います。加えて、私以外の聴覚障害者と接する機会もなかったため、聴覚障害者に対する知識やスキル、意識の持ち方はさほど高くないのが現実です。
そして、両親が高齢者となりました。老い先短い身となって、また、コロナ禍という社会情勢が不安定な環境に身を置く経験をし、あらためて「障害者は幸せに生きていけるのだろうか?」「何事もなく、無事に人生を全うできるのだろうか?」という、聞こえない娘の行く末を案じる気持ちが高じてきたようでした。
赤の他人からそう言われれば「そんなに障害者の未来を心配するのであれば、障害者が生きやすい社会に変えるお手伝いをしてください!」と言いたくなります。また、そうした協力ができないのであれば「余計なお世話」の一言で片付きますが、家族、特に高齢の両親であれば、そういうわけにはいかないこともあるでしょう。
私の中にも、老い先短い高齢の両親を安心させたいという気持ちが芽生え、人工内耳の手術を受ける決心をしました。人工内耳の手術の後、実際に人工内耳を装着して音を入れる際、母も同席していたのですが、感無量とばかりにさめざめと泣いていました。全く聞こえない中途失聴者の娘を残して死ぬよりは、難聴者に戻り、少し聞こえる状態になった娘を残して死ぬ方がマシに思えたのでしょう。安堵する両親を見て、少しは親孝行ができたのかなと思いました。
④職場での情報格差
私はユニバーサルデザイン(国籍、年齢、性別、障害の有無など、さまざまな個性や違いにかかわらず、誰もが利用しやすい建物、設備、サービス)に関するソリューションを提供する株式会社ミライロで働いています。
そのような会社で働いているので障害者への合理的配慮については知識を有する社員が多く在籍していますが、業務上必要な情報保障、コミュニケーションにおける配慮が充足しているかというと、必ずしもそうではありません。それぞれが必要な情報保障を行おうと意識していたとしても、情報格差が生まれて残念な想いをすることはゼロではありませんし、合理的配慮の提供も人によって、その時々によって異なることがあり、結果的に任される業務範囲が限定的になってしまうことも感じています。
よって、自身の活躍の場を広げてキャリアアップに繋げるためにも人工内耳の手術をするという決心をしました。
⑤講師としての発話の改善
私が講師を務めるユニバーサルマナー検定は、資格試験のため講義内容と時間が厳格に規定されていることから、淀みなく決められた内容を話す必要があります。講師の仕事を始めて6年間、私は音が全く聞こえない状態だったので、聞こえていた頃の話し方(喉の使い方)を思い出しながら、講義を行っていました。自分の声が聞こえないため、講義を聞いた人からフィードバックをもらいながら話し方の調整や講義の工夫をしたり、言語聴覚士の資格を持ったボイストレーナーの元に通い、話し方の特訓を行ってきました。
そのような努力を行ってきましたが、「聞こえて、淀みなく話せるのが当たり前」という認識の聴者中心の社会環境では、私の発声に関し、取引先や社内から厳しい意見が出てきたことが何度かありました。聴覚障害のある人が、講師を含む様々な職種を担当できるのが本来的な社会の在り方です。私自身、そうしたユニバーサルデザインな職場環境を目指し邁進している立場ではありますが、「話す」講師として仕事をしている以上、滑舌の改善を目指すことは仕方のない事情もあります。
また、ユニバーサルマナー検定も有資格者が増えて社会的な認知度も高まってきました。それに伴い講師として求められるレベルもますます高まってきましたので、少しでも発声の改善ができればという想いで人工内耳の手術を受けました。
中編はここまでです。
■後編はこちら
・人工内耳の手術を受けて思うこと
・人工内耳で聞いた「ありがとう」の言葉
・最後に