こんにちは、ユニバーサルマナー検定講師の薄葉です。講師として全国各地の企業や自治体、教育機関で研修や講演を担当しています。本記事ではユニバーサルマナー講師の体験をお伝えしています。

 

前編では
・はじめに
・情報収集(リサーチと経験者へのヒアリング)
・受診~手術日程の決定
・手術までに必要な各種検査
・検査時に感じたこと
についてお伝えしました(前編はこちら


※今回の記事は当時の日記も参照し執筆しました。あくまで私の体験になりますので、すべての人工内耳装着者に当てはまるわけではない点はご留意ください。

 

入院~手術当日


スケジュールの合間を縫ってなんとかすべての検査をクリアし、いよいよ手術の前日、入院です。当時コロナ感染予防の観点から患者家族の病室への立ち入りは禁止されていました。入院手続きを完了した後に母の見送りを受けて、病室へ入りました。

看護師から病棟での過ごし方について規則の説明などがあり、その際には持参した『音声を文字化するアプリケーション』を使用しコミュニケーションを取りました。入院後、手術に備えた点滴が始まるのですが、手に薬剤や、場合によっては患者の血液が付着した状態では、ペンを持ち筆談することが医師や看護師の負担になるのではと考え、自分で情報保障のツールを用意したのです。

ただし、事業者の合理的配慮提供の観点からは、医療機関側に情報保障の手段を用意していただくことが望ましいと思います。今後は医療機関においても聴覚障害者への情報保障が進むと良いですね。もしくは各自治体へ依頼すれば、障害者総合支援法の意思疎通支援事業として手話通訳者や要約筆記者が派遣されます。そうした福祉サービスを利用するのも1つの手だと思います。

※障害者総合支援法 意思疎通支援事業(厚生労働省)

 

手術当日(起床~手術前)


13時30分から手術の予定だったので、食事制限のため朝食はとらず、起床後すぐに抗生物質や電解質の点滴投与が始まりました。執刀を担当してくださるのは、人工内耳の手術実績が素晴らしい著名な先生方だったので、特に不安や緊張もなく、のんびりと病室で待機できた記憶があります。

予定より少し遅れて14時30分頃、手術担当の看護師さんが病室まで迎えに来てくれました。手術室前で入室を待っている間、看護師さんが優しく気遣ってくれて「緊張してませんか?」などと、紙に筆談してくださったのがうれしく、とても印象に残っています。

手術室への入室が許可され、いよいよ麻酔の投与が始まります。手術台に横になると、手術担当の看護師さんから筆談で、手術中のコミュニケーション方法について確認がありました。

薄葉「裸眼の視力が左右ともに0.1くらいしかないため、コンタクトを外している今の状態では小さい文字が読み取れません。大きい文字で書いてもらえますか?」

看護師「わかりました。これくらいの大きさでどうでしょうか?」

薄葉「はい。読めます。」

看護師「麻酔が切れかかっているか確認する際や手術後に意識が戻ったかを確認する際『薄葉さん』と名前を呼びます。声で返事ができますか?」

薄葉「声だけだと聞こえないので分かりません。肩や腕などを叩いていただけますか?もし、麻酔が切れていたら、声で返事をします。」

看護師「わかりました。念のため声かけの後に手を握るので、もし意識があればこちらの手を握り返してもらえますか?」

薄葉「わかりました。」

このように、患者が聴覚障害者の場合、聞こえない・人によっては話せないという特性があるので、事前にコミュニケーション方法や合図を決めておくことは非常に重要です。

 

手術当日(手術後~就寝)


手術後、肩を叩かれる感覚があり目を覚ましました。意識が戻り一番最初に感じたことは「右耳が痛い」でした。左右ともに手術をしたので、両側とも痛いのであれば違和感を覚えなかったと思うのですが、左側は頭が重く感じるくらいの鈍痛しかなかった一方で、右側はズキズキとした鋭利な痛みを感じました。

ストレッチャーに乗せられ病室へ移動する間、朦朧とした意識下で「私の右耳、大丈夫なのかな?」と考えていました。18時30分頃に病室へ戻り、4時間は絶対安静ということで、抗生物質の点滴を受けながらおとなしく時間が過ぎるのを待ちます。個人差があるので、他の経験者のことは分かりませんが、私の場合は切開部の痛みよりも頭蓋骨の痛み(ズキズキする頭痛のような痛み)の方が優勢だった記憶があります。

どのような手術の後も同じだとは思いますが、水が飲めずとにかく喉が渇いていたのと、尿道にカテーテルを挿入されていたので全く動けず、痛みを紛らわすことができなかったのが大変でした。また、意識が戻ってから耳鳴りが鳴り止まず、しかも非常に大きな音に感じたので「人工内耳の手術をしたら耳鳴りがなくなったという人が多かったけど、私の場合は違うのかな?」という疑問を感じていました。

それから、つらかったのは麻酔の後遺症です。執刀医の先生が往診してくださり、その後、疲労からか痛みの中でもウトウトしていた24時過ぎに急に吐き気がこみ上げ、その後明け方まで嘔吐が続きました。事後に友人から人工内耳手術でつらかったことのランキングを聞かれたのですが、その時の私の回答は下記です。

1位 麻酔の後遺症(吐き気)

2位 1週間シャンプーできなかったこと

3位 病院のご飯が口に合わなかったこと

4位 術後の痛み

5位 術前術後の空腹や喉の渇き

 

手術後


手術の翌日、麻酔の後遺症や術後の痛みで熟睡できないまま起床時間を迎えました。少しふらふらしながら起きると、右耳の痛みは治まっていましたが、今度は逆に左側が痛い状態でした。そんな中、待ちに待った朝食です。出されたお粥を完食しても空腹が収まらず、持参したお菓子を追加で食べられるくらいには回復していました。

医師の往診の際「中耳炎のような感覚で、耳が痛い」と伝えると「色んな分泌物が耳の中に溜まっているから」とのことで、手術後なら一般的に起こることなので心配ないと伝えられました。手術翌日から数日間は定期的に点滴を受ける必要があり行動に制約はありましたが、首から下のみシャワーを浴びることや病院内の売店へ行くことは許可され、さほど窮屈は感じませんでした。一方で、することがなく手持無沙汰で時間を潰すことが大変でした。持ち込んだPCで事務作業をしたり、読書をしたり、TVでウクライナ情勢のニュース(入院前の2月24日にロシアのウクライナ侵攻が報道されていた)を観たりする以外することがなくて苦痛でした。私はポータブルWifiを病室に持ち込んでいたのでPCを使用できましたが、患者が自由に使えるWi-Fiが病院にあると良いのにと思います。

そのほか、入院生活で耐えたこととしては、耳から流れてくる血膿、鼻血や血痰、点滴に含まれているステロイドの副作用による不眠症状、術後の後遺症で、鏡で見た自分の顔がかってないほどにパンパンにむくんでいて気が滅入ったこと、手術の影響で数日間は顎関節のようになり口が開けにくかったこと、人工内耳を装着するために側頭部のむくみをとらなくてはいけないので、枕に本を挟み、痛みを我慢しつつ患部を押し付け続けなくてはいけなかったことがあげられます。

 

退院~人工内耳の音入れ


その後、退院まで順調に回復し、3月7日に無事に退院できました。1週間髪が洗えなかったので、悶絶するくらい洗髪できる日を待ち望んでいて、髪を洗えた時はこの上ない幸せを感じました。ちなみに1回の洗髪で250mlボトルのシャンプー液を使い切りました。

手術後、3日目からはほぼ通常通りの体調に戻り、退院の翌日からは問題なく仕事に復帰できました。もちろん個人差はありますが、もし手術を検討している方がいれば、参考にしていただければと思います。

また、退院した時期がまだ寒い季節だったので、寒さによる影響なのか、朝起きると首や患部の痛みを感じることがありました。もし人工内耳の手術を検討している方がいれば、頭部は気温の影響を受けやすい場所のため、冬や夏、梅雨以外の過ごしやすい気候時期の手術をおすすめします。

退院から3日目の3月10日、いよいよ人工内耳を装着する日が来ました。母も一緒に来たいというので、一緒に病院へ行きました。音声を文字化するアプリケーションを使用し、言語聴覚士の先生から人工内耳の使用方法などの説明を受け、人工内耳を初装着しました。「では、音を入れますよ」という先生の言葉の後に、突然音が聞こえてきました。びっくりしました。音が聞こえてきたことよりも、音の異質さに驚いたのです。人工内耳の効果や聞こえ方は人によって違うのであくまで私の聞こえ方ですが、非常にコミカルで不思議な音が聞こえてきました。

例えば「こんにちは」であれは「くうぉん・にぃん・てぃん・うぁん」という感じです。うまく説明できないのですが、機械的な音がこだまのように響いて、かつ語尾がくるんと丸まって聞こえるような不思議な聞こえ方で、思わず「なに、これ?」と言って、笑ってしまった記憶があります。中途失聴の娘が再び聞こえるようになったと感無量で泣く母の横で、当の娘がけらけらと笑っていて、言語聴覚士の先生が困ったような表情をしているというおもしろいシチュエーションでした(笑)

耳鳴りについては不思議なことに、人工内耳を装着すると同時にピタッと止まりました。ただ、人工内耳を外すと耳鳴りが再び始まるので、私の場合は耳鳴り自体が完全になくなるということはありませんでした。

 

中編はここまでです!

次回は
・手術から1年以上が経過した現在
・人工内耳装着後のリハビリについて
・人工内耳の効果について
・最後に
をお届けします。

後編はこちら