こんにちは、ユニバーサルマナー検定講師の薄葉です。今回はお届けするのはユニバーサルマナー対談。社会で活躍する障害のある方との対話を通じて、多様性をお伝えします。また、ゲストのライフストーリーを追体験しながら、ユニバーサルマナーの必要性について一緒に考えていただければうれしく思います。
インタビューアー:薄葉ゆきえ
株式会社ミライロ ビジネスソリューション部 ユニバーサルマナーチーム 講師
薄葉ゆきえ
…聴覚障害のある講師として「外見からは見えにくい障害」に対する理解推進を目指し、全国の企業・自治体・学校などで講演を行う。
インタビュイー:辻 海里さん
辻さん、こんにちは。今回はインタビューのオファーをご快諾いただき、ありがとうございます!
薄葉さん、こんにちは。初回ゲストに選んでいただき、光栄です。よろしくお願いします。
早速ですが、簡単に自己紹介をお願いできますか?
はい。辻 海里(つじ かいり)と申します。僕は感音性難聴※ で生まれつき耳が聞こえません。右耳には補聴器、左耳には人工内耳を装着しています。両耳とも100db※ の音が聞こえないため、補聴器や人工内耳を外すとほとんど何も聞こえない状態です。聴導犬パートナーで、ゴールデンドゥードルのノエルという聴導犬と愛媛県で暮らしています。
会社員として働くかたわら、愛媛大学の夜学で社会保障法を中心に、障害者を取り巻く法律や社会学などを学んでいます。FtM(出生時の性別は女性で現在は男性)のトランスジェンダーです。性適合手術を受け、現在は戸籍を男性に変更しています。
※感音性難聴…内耳やそれより奥にある中枢の神経系に障害がある難聴。音が歪んだり響いたりする。ブログ「聴覚障害者とのコミュニケーション方法とは?」より
※100db…ライブハウスやカラオケにいるくらいの音量。隣の人へ話しかけるにも大声になる。(DENONサイトより)
◇辻さんについて(OUT IN JAPAN)
ありがとうございます。さて、辻さんは手話者ということでこのインタビューは手話で進めさせていただいていますが、まずは辻さんの聴覚障害者としてのアイデンティティについて教えていただけますか?
はい。僕は自分のことを難聴者ではなく『ろう者』だと考えています。
なるほど。ろう者について知らない読者の方も多いと思います。ろう者とはどういったアイデンティティの持ち主なのか、説明していただけませんか。
はい。ろう者とは手話を母語、または第一言語として、ろう文化圏で生活する聴覚障害者のことです。
◇ろう文化とは?(SYNODS金澤孝之教授の記事)
ありがとうございます。辻さんは一般校から聴覚特別支援学校※ へ、その後にまた一般校へと転校されたとお聞きしました。ご自身の教育背景について教えていただけませんか。
※聴覚障害のある方が通う特別支援学校。都道府県によって名前が異なる場合がある(聴覚障害特別支援学校、聾学校、ろう学校、聴覚支援学校など)。
はい。まず、僕は小学校から中学1年生まで一般校で学びました。中学2年生で埼玉県坂戸にある聴覚特別支援学校へ転入し、高校2年生まで学びました。その後、また一般の私立高校へ転入し、高校卒業後はドッグトレーナーの専門学校へ進学しました。
一般校から聴覚特別支援学校へ転校した理由や経緯について教えていただけますか?
一般校では主に読話(口の読み取り。口話とも言う)のみで授業を受けていましたので、手話で授業が受けられる聴覚特別支援学校へ転校することにしました。
転校した聴覚特別支援学校では、授業は手話のみで行っていたのですか?
そうです。そこで手話と出会い、手話を習得し、以後はストレスなく授業を受けることができました。
小学校の通常学級に通っていた頃のことを教えてください。何か印象に残っている出来事はありますか?
小学4年生の時のことです。6年生の女の子2人がある日突然、僕の教室へ来て「友達になって」と言ってきました。その子たちの担任の先生が「耳が聞こえない子が下の学年にいるから仲良くしてあげて」とその子たちに言ったようでした。僕はそれを「いやだ」と断りました。耳が聞こえないから友達になってあげる、助けてあげるということに子ども心に違和感を覚えました。かわいそうだからという理由で仲良くしてもらう必要はない、友達は自分で選ぶし、自分で作るんだと思っていました。
そうですか。お願いした担任の先生や上級生の子達は善意で申し出てくれたのだろうと推測しますが、善意の押しつけは“過剰”な対応ですよね。「あなたと仲良くしたいから一緒に遊びましょう!」と言ってくれていたら、また違った受け止め方をしていたかもしれませんね。
そうですね。ただ、当時の僕は『障害者はかわいそうな子』というレッテルを貼られることに憤りを感じていました。僕は耳が聞こえないかわいそうな子なんかじゃない。僕は僕だ、と考えていました。それだけが理由ではないですが、そうした些細なことの積み重ねの結果、僕は自分と同じ聞こえない子達が通う聴覚特別支援学校への転校に気持ちが傾いていきました。
聴覚特別支援学校ではどのような学校生活を送っていたのでしょうか?
僕は生徒会の副会長をしていました。元々活発な性格で、新しいことを率先して始めるような子どもだったように思います。
その頃の思い出などはありますか?
はい。中学生の時のことです。女子の制服はセーラー服でした。スカートはヒラヒラしているので冬は寒いという意見があり、当時、副会長だった僕は学校に一律でセーラー服を着用しなくてはいけないという校則を緩和してくれるように掛け合いました。例えば、ジャージの着用も認めてほしいというような申し出です。僕自身としても、当時、スカートを履きたくありませんでした。女子はスカートを履かなくてはならないという規則はおかしいのではないか、各自の自由意思に委ねさせてほしいと学校に交渉しました。
最近では生徒の意向を尊重して制服を自由に選べる学校も増えてきましたが、当時はそうした交渉はかなり先進的な試みだったのではありませんか?
はい。伝統だから、前例がないからという理由で取り合ってもらえませんでした。それだけではなく、新しいことを率先して提案する僕を先生達は煙たがるようになりました。
そうですか。結局、制服の自由化は認めてもらえなかったのでしょうか?
残念ながら認めてもらえませんでした。そうした周囲の保守的な対応と、聴覚特別支援学校は学業の進み方が遅かったこともあり、高校2年生の時に再度、一般校への転校を決意しました。
聴覚特別支援学校の学業の進みが遅いというのはどういうことでしょうか?
一般的に、聴覚特別支援学校では、小学校3年生くらいまでは補聴器の使用方法や口話法の取得などの講習に多くの時間を費やします。結果として、カリキュラムの消化が後ろ倒しになり、また、聴覚特別支援学校では生徒の学力がバラバラだったりするので、習得が遅い生徒の学力に合わせて一般校よりもゆっくりとカリキュラムが進む事情も重なります。結果、一般校よりも学業の進み方が遅れてしまう傾向があるように思います。当時、自分がやりたいことが見えてきた時期でもあり、新しい環境でチャレンジしたい気持ちも芽生え、一般校へ戻って学力を高めようと考えました。
そうですか。そして、高校2年生で一般校へ戻るわけですね。学業の面では苦労なさったりしませんでしたか?
いえ、幸い僕はすぐに学業の遅れを取り戻せ、問題なく高校を卒業することができました。一般校のクラスメート達とも仲良くなれ、楽しく残りの高校生活を送ることができました。
素晴らしいですね、さらっとおっしゃってますが、辻さんの努力の賜物だと思います。聴覚特別支援学校では当然のように行われていた授業の情報保障も一般校では十分でなかったでしょうし、実際には大変な努力をされたのだろうと推測します。
ありがとうございます。そう言っていただけてうれしいです。ただ、当時の友人たちはそのようには考えてくれる人は少なかったのですが……。
どういうことでしょうか?
聴覚特別支援学校の元同級生達に言われてショックだったのは、僕が難聴だから、補聴器を使えば少しは聞こえるから、発話もできるから、一般校へ転校できたし専門学校にも進学できたんだっていう風に言われたことです。
つまり、辻さんが努力した成果ではなく、元々恵まれていたから、進学できたという風に言われたのですか?
はい。もちろん、全てのろう者がそのように考えるわけではありませんが、中には、努力する前に“自分は耳が聞こえないから”とか“聴者の世界に馴染めないから”という理由で努力する前に夢を諦めてしまう人がいるように思います。僕から見れば、そうした人達も素晴らしい才能を持っているのに、最初から理由を付けて挑戦を諦めてしまうのは本当にもったいないことです。
障害のある人も自分からバリアを作らない心掛けや姿勢は大切ですね。ただ、そうした考えを持つに至ってしまう厳しい現実があることもまた事実なのだろうと思います。もちろん、すぐに社会を変えていくことは難しいとは思いますが、障害の有無に関わらず、誰もがありのままに生きられて、夢を追い求められるような社会環境に変えていかなくてはなりませんね。
はい。僕自身もそうした想いがあって、今、大学で社会福祉を学んでいます。
高校卒業後、辻さんはドッグトレーナーを養成する専門学校へと進学されますが、辻さんがドッグトレーナーを目指した理由やきっかけを教えていただけませんか?
僕は元々動物が大好きで、実家でも犬を飼っていました。僕の家族は僕以外全員耳が聞こえています。家族と会話する時は、相手の口元を読み取ることが多いのですが、何の話をしているのか理解できず会話に付いていけないことが多かったです。そんな時、当時一緒に暮らしていた犬が僕の相手をしてくれました。犬と遊んでいる時、僕は本当の僕自身でいられたように思います。僕の気持ちを理解してくれる犬の気持ちを僕も理解したい、いつしかそうした想いが芽生えました。そうした幼少時の経験から、僕はドックトレーナーになりたいと願うようになりました。
第1回はここまでです。
次回は「専門学校での情報保障」や「聴導犬との出会い」をお聞きします。