こんにちは、ユニバーサルマナー検定講師の薄葉です。講師として全国各地の企業や自治体、教育機関で研修や講演を担当しています。

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目次


障害者はかわいがられなければ、生きていけない?
無自覚の『共依存』関係
障害は『トランスフォーメーション(変質や変換)』
最後に

 

 

障害者はかわいがられなければ、生きていけない?


次は障害者の側から「共感の負の側面」を見てみましょう。

私には生まれつき障害のある知人がいます。その知人はいつも周囲の顔色をうかがい、相手からどう思われるのかを常に気にしているように見えました。意見を尋ねてもうまく伝えられない様子でした。

ある時、その知人になぜそのように振る舞うのか、思い切って尋ねてみました。その答えを聞き、私はとてもショックを受けました。

物心がついた頃からほぼ毎日、親や学校の先生から「あなたは周囲の人に助けてもらわなければ生きていけない。だから、助けてもらいやすい人になりなさい。可愛がってもらえるように、常に笑顔で感じよく振る舞いなさい。何かしていただいたら、全力で感謝の気持ちを伝えなさい」と教えられたのだそうです。

もちろん親や学校の先生に悪意はないと思います。誰しも、自分の子どもや教え子に対し、嫌われるように振る舞いなさいとは言いません。

ただ、私にはこの「かわいがられる障害者になりなさい」という言葉は、まるで「聞き分けの良い障害者」を作り上げるような、洗脳の言葉のように感じられました。毎日毎日「かわいがられる障害者になりなさい」と言われ続けたら、いったいどんな大人になるのでしょうか?

自己肯定感は育たず、自分の意見を言えず、自分の困りごとやニーズも相手にうまく伝えられない、そうした大人になってしまうのではないでしょうか?この知人の話を聞き、私は悲しい気持ちになりました。

もちろん『誰かの厚意を受けたら感謝の気持ちを伝える』ことは障害の有無に関わらず、非常に大切です。
しかし、私の知人は幼少時から繰り返される周囲からの悪意のない抑圧によって、自己肯定感を低下させてしまっているように思われました。この話は私がユニバーサルマナー検定の講師になる前のエピソードですが、今も私の心に重くのしかかっています。

 

無自覚の『共依存』関係


今まで出会った障害がある人の中には、マジョリティに対し崇拝に近い感情を持つ人も多く見かけました。そうした人は個人モデル※で障害を考え、社会に適合できないのは「障害を持つ」自分自身が悪いのだと罪悪感を持ち続けている人が多いように思います。そして、自分にできないことができているマジョリティは無条件で素晴らしいのだと思い込んでしまっていました。

※ブログ『「合理的配慮」とは?事例を交えて解説します』


マジョリティを中心に作られた社会環境の中で自己肯定感を持てないでいる障害者と、自分を崇拝してくれる障害者や、共感できる「かわいがりやすい障害者」しか助けないというマジョリティの間で、ある種の「共依存関係」が構築される事象をよく見かけます。私はこの不健全な状況を見かける度に「ストックホルム症候群」との類似性を感じることがあります。

共依存とは(厚生労働省 e-ヘルスネット)

ストックホルム症候群とは
1973年にストックホルムで起きた人質立てこもり事件で、人質が犯人に協力する行動を取ったことから付いた名称。誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象。

過度に抑圧された環境で生活し続けた結果、抑圧する対象の要求に過剰反応してしまい、それをある種の順応(共感)であると思い込まされている事象は、障害者だけではなく、女性や子ども、高齢者、長期的な貧困状態である人など、社会的マイノリティにおいて起こりやすいように思います。
抑圧的な環境とその抑圧に隷属する人だけの間で支援の輪が完結し、共感を得られなかったり、聞き分け良く振る舞えない人は支援の対象外になってしまう社会は、インクルーシブとは言えないのではないでしょうか。

 

障害は『トランスフォーメーション(変質や変換)』


私は講演で「障害は人が生きるうえで起こるトランスフォーメーション(変質や変換)」だと伝えています。人は誰しも、お世話をしてもらえれば生きていけない幼少期を経て大人になります。また、私が聞こえなくなったように、人生の途中で、病気やけがを理由として障害のある立場になることもあります。

年齢を重ねれば高齢者になり、さまざまな心身の不自由を感じるようにもなります。障害は決して特殊なことではなく、人が生きていく上でごく当たり前のこと、人は誰しも置かれた環境によっては障害者になりうるのです。

私はこれまでの経験から、お互いに対等な人間同士として尊重し合ったうえで、共感を持つことが、健全な人間関係を築く上で重要だと考えています。また、共感は人間関係を強化するうえで非常に重要ではあるものの、時に「分け隔てなく困っている人を支援する」という場面においては「落とし穴」になっている側面もあるように思います。

共感の有無に関わらず、社会的マイノリティが一定の支援が受けられる社会システムの構築は必要不可欠であると考えています。

 

最後に


いかがでしたか?

私たちは、ユニバーサルマナー検定の受講者に毎回アンケートをとっています。「障害者や高齢者について知りたいことはありますか?」という質問に対し、「障害者の本音を知りたい」というご意見が少なからずあります。今日は私の「本音」についてお話ししました。

本記事は、人によっては少しショックを感じたかもしれませんが、決して社会の分断を意図するものではありません。むしろ「共感の落とし穴」によって可視化されていない分断を解消できればという想いで書きました。

お伝えした内容が、皆さまが社会的マイノリティの方々と共にインクルーシブな社会を共創する一助となりましたら、大変うれしく思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう!