こんにちは、ユニバーサルマナー検定講師の薄葉です。聴覚に障害のある講師として全国各地の企業や自治体、教育機関で研修や講演を担当しています。


はじめに


今日は、障害のある私が体験したアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)やマイクロアグレッション(ちくちく言葉)を5つお伝えします。

私の体験から「障害者に対する意識のバリアとは何か」や、適切なコミュニケーションの取り方などを知っていただけたらうれしく思います。

※マイクロアグレッションとは?
相手を差別したり、傷つけたりする意図がないのに、相手の心に影をおとす言動のこと。

 

 

目次

「かわいそうね〜」
「もう少し障害者らしく振る舞った方が良いんじゃない?」

 

後編はこちら

 

1.「かわいそうね〜」


これは、言われたことがある人も多いのではないでしょうか?

私の場合、個人病院の受付で「聞こえないので、順番が来たら手で合図してほしい」などの要望を事前に伝えておくのですが、受付の方から「あら〜、聞こえないの?かわいそうね〜。」と言われた経験があります。もちろん、言った方に悪意はないと思います。単に聞こえないことに同情してくださっての言葉なのでしょうが、正直なところ、これを言われても困ってしまいます。

障害受容が進んでいない人の場合は、心にちくっと刺さると棘のように感じるでしょう。逆に、障害受容が進んだ人の場合は自分を特にかわいそうだとは思っていない人もいるでしょうから「かわいそう」と言われても「そう見えますか?本人的には、そんなことありませんけど……。」と心の中で呟き、愛想笑いで返すような対応しかできません。

社会の中で障害への理解は少しずつ進んでいるように思いますが、
『障害者=かわいそう』とか『障害者=不幸』
のレッテル張りはまだまだ根強いように思います。気持ちに寄り添ってくださるのはうれしいのですが、かわいそうか、不幸であるかどうかは本人の考え方次第です。思い込みによるレッテル張りはしないようにご注意ください。

さらに類似のケースをお伝えすると「かわいそうに見えないから、助けたい気が起こらない」と言われたこともありました(笑)。障害者はかわいそうという偏見のもと、その人の思う「かわいそうな障害者」像に私が当てはまらないから、サポートしたくないと言っているわけで、これはよろしくありません。

「かわいそう」は情緒的共感が間違った方向へ行き過ぎた結果です。また、かわいそうに見えるかどうかは、そもそも合理的配慮を提供する判断基準でもありません。合理的配慮の申し出があった際には、かわいそうに見えるか見えないかに関わらず、過重な負担でない限りでサポートなどの対応をお願いしたく思います。

 

2.「もう少し障害者らしく振る舞った方が良いんじゃない?」


これも1のケースと似ていて、障害者像を思いこんだうえでの発言なのではと考えています。この方はおそらく、私に対するアドバイスという意味合いで、上記の言葉を伝えてきたのでしょう。

私は元来人見知りしない性格のため、他の人が物怖じするような場面であっても、ドーンと構えてしまう傾向があるようです。この言葉の後に「障害者らしく健気に振る舞う方が得策だよ」と続いたので、このような私の言動が社会では「生意気な障害者」だと思われてしまうことに対する警告だったように思います。障害者は社会的に立場が弱いのだから、低姿勢に振る舞いなさいという意味なのかもしれません。

ただし、この言葉はいろいろなシチュエーションで用いられるようにも思います。例えば、別の言葉に置き換えると「もう少し女性らしくおしとやかに振る舞った方が得策だよ」とか「もう少し若年者らしく控えめに振る舞った方が年長者にかわいがられるよ」といった具合です。

「もう少し障害者らしく振る舞った方が良いんじゃない?」という言葉も、一見悪意はないアドバイスのように思えますが、障害者に対するアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)やマイクロアグレッション(ちくちく言葉)が垣間見えた瞬間でした。

障害者といっても、1人の人間である以上、育った環境も千差万別。性格や考え方も異なります。性別や世代も違えば、外見も一人ひとりが違っています。『障害者らしい障害者』というものは存在しません。
また、時々、誉め言葉のつもりで「障害者に見えない」とおっしゃる方もいますが、この言葉も「障害者」像を勝手に決めつけているため、適切な言葉ではありません。

 

 

前編はここまでです!

後編では
・「いつまでも健常者気分でいてはダメよ」
・「彼女、お耳が聞こえないんです〜」
・「聴覚障害者ゆえ、お聞き苦しいところはあるかもしれませんが」
・最後に
をお伝えします。

後編はこちら